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オーストラリアからの手紙-5-

 

5

――前回までの俺の回想――する間もなく、ジムに入って。

 立派だとは言いがたいボクシングジムである。
 汗で汚れたリングとサンドバック。そして鏡と一人の男。
「やあ、ベック。夕方まで貸してくれよ。……ほらよ、礼金」
 スキンヘッドの逞しい男がスティーブの投げたコインを片手で受け取る。
「……ああ。好きなだけ使いな。ただし、キレイにして帰れよ。清掃代をくれるなら別だが」
「もう一人いるから、そいつにでもやらせとくさ」
 俺のことか?
 ……まるで子分だな。
「ほう、珍しく対戦相手を連れてきたってわけか。こりゃ、見物だな」
「見世物じゃない」
 と、スティーブの表情が途端に険しくなった。
 ――コヨーテのように。
 ベックは苦笑しながら、両手を小さく挙げて降参のポーズをした。
「ははは。ジョークだ、ジョーク。……じゃ、ごゆっくり、お二人さん」
 そして彼は別の部屋へ消えてしまった。
「いつもこんなとこで練習してんのか。仁も使うっていうから、もっと設備の整ったとこかと思ったが」
 スポーツバックから青いグローブを取り出すと、スティーブはそれを手にはめながら答える。
「だからこそだ。ダウンタウンのここなら人目につきにくい」
「ふーん。……ワケありっぽいな」
「それはお互い様だろ」
 ……観察するようなその視線が嫌なのさ。
 けど口に出さず、俺はリングに上がり、そこに転がったままのミットをはめた。
 仁のやつが来るまでテキトーに相手してりゃいいのさ。
「よし、来いっ!」
 俺の合図でスティーブの拳が命中する。
 ……。
 キ、キツゥゥゥ……。
 こいつ、スゲー力がある。
「どうした? それぐらいで驚くようじゃ、トレーニングにならないぞ」
 嫌味な笑顔。
「るせー」
「じゃ、遠慮せずに行くからな」
「じゃんじゃん来い!」


 ……仁、今日は……来ないのか……よ。
 こいつ予想以上に、強ぇぇ……。
 師匠の修行を思い出させる。
 しばらく軍隊でのんびりしたから――一般人にはキツイけどよ――身体がなまっちまったみたいだ。
 俺は気が遠くなりそうだった。
「もっと腕を上げろッ! そこだ、そこッ! もっと打て!」
 サンドバック相手にビシ、バシ、ガシッ!
「ただ力を入れるだけじゃだめだと言ったろう、ファラン!」
「……」
 俺は仁王立ちになっているスティーブに目で訴える。
「もっと強くなりたいんだろッ!」
「……その……俺、仁を……」
「そのうち来る。もたもたするな」
「……」
 ボクシングするためにここまで来たわけじゃない。
 ただこいつのトレーニングに付き合っただけで。
 それにしては、初対面の俺にどうしてここまで?
 あーあ、もう考えるの面倒くせえ!
「おいおい、いいかげんにしろよ! 俺はな、ただ仁を探しにきたって何度言ったら分かるんだ!」
「あいつは来ると言ったはずだ」
「……にしては、妙だぜ。そろそろ日が暮れるってえのに、仁どころか一人も来やしねえじゃえねえかよ」
「時間まで俺は知らん」
「じゃ、トレーニングはもういいだろ。……腹減った。俺は行くからな。ここまで付き合ってやったんだ。それで満足しろ」
 タオルで顔を拭き、俺はリングを降りた。迷わず、表へ続くドアを開ける。
「待て、ファラン!」
「……しつこいな」
 振り返りざま、睨みつけてやったが、相手はまったく怯まない。
「ここから出ないほうがいい」
「出る」
「夜まで待て」
 無視してドアを開け、表へと続く階段を下る。
 ――。
 あれれ?
 やけに人が多い。
 黒っぽい連中ばかり。しかも見覚えがある。
 あ、まさか……。
「出てきたぞ!」
 その合図でいっせいに武装した鉄拳衆が俺めがけて、襲いかかってきた。
「生け捕りにしろ!」
「……!」
 どっひゃぁぁぁ〜!
 なんでオーストラリアまで来て、和風軍隊そのまんまの鉄拳衆に追いかけられなきゃならないんだ!
 で、当然、すぐにドアを閉めて鍵をかける。
 ギュイイイン!
 ドリルの音……。
 バズーカー砲じゃないだけマシかも……。
「って感心している場合じゃねえ!」
 俺はスティーブのいる三階へともどる。
「大変だ! すぐ逃げようぜ! て、鉄拳衆がおまえ……いや、もしかして俺? まあどっちでもいいから、逃げよう!」
 しかしスティープは首を横にふる。
「嘘じゃねえ! ジョークでもなんでもねえ! 本気だ!」
「……それは承知している」
「まさか闘えって言うんじゃねえだろうな? 言っとくけどな、無謀すぎるぞ。鉄拳衆は武器も持っている。素手の俺らじゃ無理だ!」
「そうか……」
「そうかってアンタ……」
 彼は苦い笑みを浮かべていた。
「だから言ったろう? 夜まで待てと」
「じゃ、じゃああれは――まさか、仁を捕まえるために……けど、それをどうして……」
 そう口にする俺だったが、事の真相が読めてきた。
 ――元々、スティーブは鉄拳衆、つまり平八と手を組んでいて、仁を追っていた。で、あいつがここに来ることを嗅ぎ付けて、鉄拳衆に連絡して……。
「けどなんでアンタが?」
「……話せば長いんだが……まあ、こういうことだ」
 スティーブは肩をすくめ、リングのロープに背中をあずけた。
「俺はある組織に追われている――八百長するはずがつい、本気出しちまって勝者になってしまったのさ……ボクサーとしての自尊心が勝ったとも言える。その組織は三島と匹敵するぐらいの連中で、逃亡するしかない俺は世界中を旅した。そして、日本で平八と出会い、その俺の事情を知った彼にバックアップしてもらう報酬として、御曹司探しに協力している」
「……言っとけどな、スティーブ。平八のジジイもクソ汚ねえぜ。用なしと分かったら、とっとと捨てられるってことぐらい、気がついてるだろ?」
「だな……。けど、あれだけの組織なら、きっと見つけてくれる――ま、要するにギブ&テイクってことだ」
「なーにがギブ&テイクだ。……平八ジジイにこき使われるに決まってる」
 彼は視線を落とし、小声で俺に言った。
「やっぱりおまえは俺の見込んだ男だけある――あの仁が親しくするのがわかるような気がする」
「ライバルだ。勘違いするな」
「似たようなものさ。……あの男は俺が近づいても、決して隙を見せなかった。まるで警戒している虎だ。俺ではどうも無理らしい。現にあれからここに姿を見せなくなった。……が、今夜は来るはずだ」
「だからどうしてだって、さっきから聞いてるだろ?」
「まだピンとこないか?」
「……はあ?」
 スティーブが声を上げた。
「捕まえろッ!」
 その直後、轟音がした。
 コンクリートがパラパラと落ちてくる。天井に巨大な穴が開いていた。
 そこから鉄拳衆が何人もロープを伝って降下する。
「特撮みたいだ……」
 俺は呆気にとられるしかなかった。逃げることすらできない。
 反撃しようにも、この数じゃ……それに、さっきのトレーニングで体力が……。
 くそう。
 これも、スティーブの罠……ってことか?
 観念して歯を食いしばり、降参のポーズを取ると、鎖でぐるぐる巻きにされる。
「……すまないな、ファラン。君は人質だ。大切な親友がこうなってしまえば、彼も従わずにいられないだろう」
「汚ねえ……。それにあいつはライバルだから、意味ないぜ」
 と言ってみるが、あの性格なら仁のやつ、来るだろうな……。
 それは俺がよく知っている。
「今、インターネットで君のことを流した。もうすぐ再会できるぞ」
「……ってことは、あの絵葉書もアンタが?」
「ちがう。あれは俺じゃない」
「じゃ誰なんだよ?」
「知らない。ただ、俺は御曹司を探していただけで、君のことは今朝、情報で知っただけだ。人質にするように指示があったのもそのときだ」
「……」
 まさか、ワン爺サンが?
 でもシャオユウは……?
 混乱する俺だったが、とにかくこのままではかなりヤバイことはたしかだ。
 人質――オーストラリアでバカンスするはずじゃなかったのかよ……。
 ハードボイルドじゃなくて、アバンチュール(死語)が欲しかったのに……。
 さすが鉄拳小説だけある……。

[6]へつづく

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